在ることに還ること

「ひとつ」だった時、完全な調和と完全な愛で在ったこと。

 

 

完全な調和と完全な愛で在るということは、

それが一体どういうことなのかはきっとわからなく、

調和であるという感覚や言葉、愛であるという感覚や言葉も、

もちろんない。

 

 

だから、「ひとつ」は、それを知りたくなった。

その第一歩として、

個であるという感覚を知るために

大きな全体から分離して、

さらに自らをふたつに分けて。

愛であるという感覚を知るために。

 

 

ふたつに分かれたお互いは、どこまでいっても自分だから、

 

 

違う人間の中に入って、

違う魂なのだということをあえて強調して。

そうでないと愛であったことなんて思い出せないから。

 

たくさんのパラレル、たくさんのタイムラインで

争って傷つけあって怒って悲しんできて、

そして別れ別れのまま死んでゆく

 

 

その目的は、本当は魂には傷なんかつかないけれど、

傷を負ったようにお互いが感じることだったから。

 

だけど、もうじゅうぶんその目的は果たされてる。

 

 

だから今、いるこの場所での目的は、

傷を負うこと、悲しく別れたまま死んでゆくことではなくて、

 

調和で在ること、愛で在ることに、もう、還ること。

 

 

一番最初に定めた、「知りたい」は、

一番最後にやっと、知れることになっているんだ

 

 

宇宙の仕組み

とてつもなく、壮大で緻密で

言葉の出ない気持ちになる。

 

 

「宇宙には最初から愛しかないんだよ」

 

 

子どもの頃に聞いた、あの声の言っていたこと、

金色と水色の合わさったこの世界で、

やっとわかり始めている気がします。

 

 

長い長い旅だったね。

 

 

 


断捨離2

ずっと、物を手放すこと、について向きあってみて。

 

 

今の所のわたしの結論は、

「残すかどうか少しでも迷うものは、本当に全て!いらないもの」

 

 

本当に大切で大すきで必要なものは、

迷う間なんて一瞬たりともないから、ってことでした。

 

 

「自分にとって」必要と、不要なジャンルをとことんまで、はっきりさせること。

 

 

私にとって不要なのは、電子レンジとかテレビ便利な家電とか。

 

でも絶対必要なのは、大きいベッドと寝転がれる大きさのソファー。

長い旅行にこれから先行かなくなったとしても、大すきな大きなトランクふたつ。

乾燥まで全部おまかせできる洗濯機。

(洗濯物を干すことが苦手なので)

 

 

 

家で飲むワインは気軽に開けられるのばっかりだから、

ワイングラスはもう思い切ってデュラレックスにするけど、

シャンパングラスは絶対バカラがいい、とか。

だから、世で言うミニマリストではないし、それを目指してるわけではない。

値段に関係なく、本当に気に入ったものを少しだけ、がいい。

 

 

かさばろうが何だろうが、どうしても自分に必要なものは手放さない。

たくさん集めてもいいものは、すみれの小物と、かごバッグ。
 


"断捨離や、物を持たないことだけをゴールにせず、

物を減らした後に自分がどんなライフスタイルを望むか"

"シンプルで豊かであること"

"本当に自分に必要なものだけに囲まれた理想の暮らし"

 

 

何かから、ノートに書き写してあった言葉です。

 

自分にとって、本当に「豊かである」ということは一体どういうことなのか。

誰とも何とも比べられない、自分の幸せの追求。

断捨離するということは、わたしにとっては、そういうことでした。

 

 


The Source

これからやってくる新しい年、

 

たくさん笑顔がありますよう

胸の中に灯火がありますよう

光に包まれていますよう

よい風がたくさん吹きますよう、

 

帰りたいあの場所へ帰れますように。


路地裏の小さなろうそく店

吉祥寺の路地裏につくった、小さなショップをクローズしてから

今日でちょうど1年がたちます。

 

 

 

オープンしたのは2013年の7月の終わり。

 

 

 

たぶん、長くは続けられないであろうこともどこかで薄々わかっていて、

けれどもどうしても、実際にあるお店、というかたちを作りたくて。
 

 

ただそれだけの思いで作った、

Aurea magic candlesという路地裏の小さなろうそく店でした。


 

 

 

 

去年、最後の日に来てくださった、最後のお客さまが、伝えてくださったこと。
 

 

"このお店の世界に触れたら、

自分の中に眠らせていた魔法が目を覚ましました"

 

 

 

最後にいただいて、とても嬉しかった宝物のような言葉です。。。

そして、わたし自身も、ショップを開いて以降それをとても感じていました。

 

 

 

 

今年は、本当に心の中で、いろいろな魔法の旅をしていた年でした。
 

 

自分自身が、どこでどうして生きてゆきたいか。
 

「今」、いちばん自分に心地よく、うれしい選択をただ、し続けること、

ただ、それだけが、いつか必ず還る場所への道になることを、
 

1年を通して感じていました。

 

 

 

 

 

大すきだったショップとアトリエの内装を壊し、

ゼロに戻すことから始まった年。

 

 

わたしの人生で大きな存在だったひとたちとのお別れも続き、

そして、自分自身も長く親しんだ場所から引越しをしました。

 

 

2013年からの、宝物のようだったひとつなぎの時間に、

9月の秋分頃、大きくさようならを選択して。

 

 

そして新しい時間が始まると同時に、

憧れていたお店から、お仕事でとてもうれしいお話をいただいて。

 

 

その後出逢えた、

はじめましてのはずだった、何人もの方が、

 

あの小さな路地裏のろうそく店に来て下さっていたことや、

目で見て知って下さっていたこと、を知らせて下さいました。

 

 

 

 

中でも、ほんとうに嬉しかったのは、
 

以前からとても大すきだった方が伝えてくださった、

2013年のオープン直後の夜の、ショップの窓から見えていたろうそくの灯の話。

 

 

あんまり大切で、うれしい、特別なお話だったので、

胸の中の大切な場所に飾ってあり、今ここには記しませんが。


 

 

 

あの場所で、あのろうそく店を始めたことは

自分だけの満足ではなかったのだ、ということや、
 

 

そして、感じる不思議なつながり、ご縁は

見えない場所でしっかり育っていて、ある日、

目に見える形に表れてくれること。


 

 

 

そして、

魔法は、確かにその時そこにあったこと、

そしてこんなに、確かにここにあること。


 

 

わたしが、何よりも大切に思うことを、

数年の時を超えて、伝えていただけたのです。

 

 

 

本当に、ありがとうございました。



 

 

 

 

 

誰もがみんな、自分の選択を疑いなく信じて、

胸の光が指し示す方向へ走り出せますよう。

 

 

そこで待っている未知の世界は、

本当は誰もにひとつずつの、懐かしい王国なのだと思います。


 

 

 

 

 

わたしの中の王国の、懐かしいひとがこう言っているみたいです。

 

 

 

「本当はすべてを知っている、
 

 

だけどただ、何もかもを初めて出逢うかのように、ひとつずつ思い出したかったんだ
 

 

そしてその大切さと愛を知りたかったんだよ」


 

 

 

 

 

 

大切な12月に たくさんの愛をこめて。
 

 

Aurea magic candles

清水愛子

 

 


大すきな夢

10年以上前にみた、大すきな夢があるのだけれど。

冬の夕方、私はどこか、
シアトルの方だとか、カナダだとかの、寒い外国の小さな街にいて。
長い髪をしていて、あったかいコートを着ていて、クリスマスが間近。
手には、ワインのボトルや、
おいしそうなものが色々少しずつ入った紙袋を下げている。
そこには一緒にいないけれど、大すきなひとが遠い故郷の国にいて。
今はひとりだけれど、何だかものすごく幸せ。
不安もさびしさもなく、ただただ胸の中が暖かくて。
街がきれいで、空が澄んでいて、周りの人たちはみんな嬉しそうで、
そのしあわせが周りの空気に漂っているようで、幸福なきもちで目覚めました。

忘れられない大すきな夢。
でもね、今年、ひとりで冬の街を歩いていると、
その夢の中で感じた気持ちがそのまま感じられるのです。
何もないけれど、胸の中には全部ある。
いつか必ず帰りたい場所があって、大切に思うひともいて。

そして、家に帰ればねこたちもぬくぬくとしていて、

作りたいもの、表したい世界があって、
友達も、家族も、仲間も、お客さまもいてくれて。
そして見えないたくさんたくさんの存在に見守られている、本当の安心感。

ああ、もう本当にあそこに来られたんだって、何だかすごく幸せ。

自分のこころを、ただただ澄ませて、
本当のきもちはどこにある?

魂の声はなんて言ってる?
それだけをひたすら見つめて聞いてきて、

恐い方へこわい方へ、ただダイブを続けてきたこの5,6年。
ひいては多分、あの夢からの10年ほど。
たぶん、今年ようやく。ずっと探していた場所をこころの中に見つけました。
消えない炎と、枯れない湧き水が一緒にある場所に感じます。
あの場所がこころの中にあれば、いつまでだって、どこまでだって、飛んでゆける。

誰もが、少しでも早く、それぞれのあの場所を見つけられますように。

その場所が、いつでも胸の中にあったことに気づけますように。
安心の中で、愛の中で、光の中で、本当の魂で生きることを選択できますように。

 


 

 


目的を目的としない

 

何年か前の話なのだけれど、

あるひとが、

 

 

"あなたの作品はたくさんの人を救って、たくさんの人を繋いでくれている"

というような内容の言葉をかけられたとき。

 

「ありがとう、でも純粋につくれなくなってしまうから、

あんまりそういう事を言わないでおいて」

というように答えていました。

 

 

それを聞いていたその時は、

芸術家の言葉だなあ、と思っただけで、深く考えなかったけれど。

きっともしかしたら、その意味は
 

 

「結果そうなるのはうれしいけど、

自分の中に少しでも気負いだとか、

余計なものが出てしまうと、いいものができなくなる

(光をのせられなくなる、届けられなくなってしまう)から、

ほんの少しでも、そんな目的を意識の中に入れたくない、

だから、うれしいけれどあまり聞かせないでおいて」

 

 

と、いう、本当に痛いほどストイックで透明な思いだったのだな。
 

 

明らかに、本当に多くのひとに光を届けているひとであるし、
かけられた感謝の言葉のとおり、多くの人を救って繋いでいるし、

私には、魂の目的はただただそれ、に感じられるひとなのだけれど。

 

 

 

決してそれを役目だと思ったりとか、 目的にしたくない、

ただ素敵なものをつくるだけ、

というその気持ちがとても透明で、

そのことを思うと、言葉の出ないような気持ちになる。

 

 

 

ジャンルは全く違うけれど、

きっと全く同じことを思い、実践している、

やはり多くのひとに光を届けるひとがいて。
 

そのひとも、いつも、ただ透明でいたい、自分は空間、それだけと言っている。

 

 

愛の世界、光の世界をほんとうに知っているからこその、

かなしみや寂しさを持ったまま、

その世界をここに取り戻すために働いているひとたち。

 

 

 

ほんとうにそれが確固たる魂の目的であるからこそ、

それをこの場所での目的だなんて、

言わないというか、目的にする必要もないというか。

 

 

少しでもそれが目的だと言ったり、思ったりすることで、

自分の中に、

誰にもわからないかすかな濁りが出ることをすごくわかっている。
 

 

そして、自分のその微かな濁りが、

宇宙にどれだけの大きな影響を及ぼすかも、

きっと魂でものすごく知っている。

 

 

だからいつも、彼らはなにかギリギリのところで、なんとか保ってる。

なんというか、人間であることをギリギリ保っているというか。


それはとても大変なことだろうと思う。
決して、彼も彼女も、そうとは見せないけれど。


 

よく、こんなひとたちが、

この場所で生きていてくれているなぁ、

と、いつも思います。

 

 

彼らだけではなく、わたしのまわりにはそういうひとたち、

たくさんいるけれど、そのふたりは全く別物であるというか。なんというか。
 

 

ふたりとも、普段は一見優しく儚げな姿で、自然でほんわかしているのだけど、

それぞれ、そのお仕事をしている時は巡らせているものが、ものすごく速い。

恐いほど、あまりに速いエネルギーで的確で、静かな白い嵐のよう。


お仕事は全く別ジャンルだし、

そのふたりはお互い面識があるわけではないのだけれど、

ふたりとも、わたしがとても尊敬しているひとです。

 

 

 

 

愛も祈りも光も、だまって、迅速に、常に。

というか、存在しているだけで、

ほんとうに、誰もみんな愛で光で祈りなんだな。

 

 

本当にたぶん、それだけでいい。

 

 

大すきなふたりには遠く及ばなくとも、

ただただ、自分の中の水を澄ませることに集中して、

深いところまで見渡しながら、

わたしも、自分の道をゆっくりと進みたいです。

受け入れて、明け渡して、愛して、歩いてゆきたいです。

 


Change

鳥の卵で言うと、"目に見える変化"のクライマックスは殻からひなが出てくる場面。

でも、本当に肝心なのは卵の中でのことで。

目には決して見えない所で音もなく、
一番最初の小さな細胞が現れた時が、多分一番大きな変化。
その後はもう勝手に光を求めてどんどん変化してゆくだけなんだね。

一番最後、殻が割れはじめる瞬間までの行程は、決して目には見えないけど。


そして、"光を見るために、生まれる"と決めて始まったその変化、
でも実は遠い昔から決まってて始まったその変化は、

途中でやめようとしても止まらないし、途中でやめさせようと、殻を誰かが割ろうとしても決して割れないのだと思う。

そして、見えない変化の間は、何事も起こっていないのではないだろうか、と不安になりがちだけれど。
安心していて大丈夫。

目に見えなくても、感じることができれば、大変化していること、そしてその美しさがわかるから。

L

You are love.
I am love.

I love you.
You are loved.



pray

どうか、

地球上の誰もが、
行きたい場所で 生きたい場所で 
生きられますように。

もう誰もが苦しむことなく 我慢することなく 
自分のほんとうに願う場所で 
生きられますように。

誰もの内に、
その場所が 新しい世界が
ありますように。

炎について

水や空気は、どこに暮らしてどんな生活をしていても身近だからまだしも。
土に触れたり、炎を見なくなってゆくのはまずいなぁ、と日々感じます。


現代の生活の中では、オール電化などのシステムで、
生活の中で炎を全く見ない場合も大いにあると思います。


でも、「”炎の出ない熱”が安全で、それが基本です」ってなってしまうのは、
とても不自然なことだとわたしは感じていて。


ろうそくは火事が怖いからつけません、
という方もいらっしゃるし、その気持ちもわかります。


昔から、人間にとっての炎とは、
暖を取るため、料理のため、外敵から身を守るために使う手段。

それはもちろん危険を伴うのだけど、だからと排除するのではなくて、
危険だということも知り、相応の覚悟を持った上で、使ってきたものだということ。


もちろん、自然の力だから、気を抜いたら大変なことになるけれど、
真剣に向き合っている限り、炎はこちらの意に沿わない暴走はしないし、
管理の中で動いてくれます。
気を抜かなければ。


命を奪うこともできる大きな力なのだけれど、
そうやって真摯に向き合った時、
その自然の力は暖かく、身体だけでなく心も照らしてくれる。


その認識が自分の中にあれば、
直火を無駄に恐れる必要もなく、
炎を自分の手の中に操らせてもらうことができるのだと思います。


焚き火ができる場所で、焚き火をすることや、
薪ストーブや暖炉を使うこと、
とても大切なことだと思うし、
忘れてはならないことだと思うけれど、
都会の中で毎日それをするのは難しいから。
縮小版として、日々の中でろうそくに火を灯すことは、大切だなって思っています。



大きな光には必ず影ができる。

ものごとには必ず対極の面があるので、
暖かく照らしてくれる炎の力も、こちらが気を抜いて接することで、
人の命を奪う恐ろしいものにもなる。


でも、だからといって、安全第一をかかげ、
炎に触れないで、見ないようにして、遠くへ置いておくのは、
なにかどうしても、違うなと思うのです。


きっと、大昔の人間は日々、
闇とも炎とも、真剣に対峙して生きてきました。
その両方を決して軽んじてはこなかった。


今は、松明を持たずとも夜道は明るいし、
それによって守られているものも沢山あるとは思うけれど。


見えない力への、大いなる存在への、自然への、
畏敬の念を持って、炎を使うことは、

生命のおおもとに触れることだと感じます。
炎は、人間の野性を、正しく呼び戻してくれるものだと感じるのです。





 


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