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夏至にむかって

自分でも、いつも、どうしてなのかと
思うけれど。

 


わたしは、何かをするときや大きく動かすとき、

それから普通に仕事のときも。


時間のかかるものから計画的にひとつずつ終わらせて行くとか、

そういうことができないのです。
 


いくつか同時に案件があったら、

気が向いたものからてんでに手をつけて、

あれもこれも進行中の状態にして、
なにひとつ完了しないまま進めてゆき、

最後に一気に仕上げる、というおかしなやり方しかできない。


この方法は、目に見えて片付いていっている、

という実感を感じられないので。

以前は精神的に不安というか、怖かったのだけれど。
でも、なんだか段々、慣れました。


だって、これしかできないから仕方ない。

そして、計画的に進めようとすると本末転倒で、

ひとつも仕上がらないだろうということが、わかる。


今は、どうやらAureaさんというなんだか大きなひとが、

大きくあらゆる準備を進めている最中らしく、

わたしはそれに従って次から次へとやってくる指示に取り組んでいるのですが。

なんだか今回こそ、進んでいるという実感が、全然目に見えてこないような事ばかり。

 

 

そのしごと、と同時進行で、
この次元に生きているわたし がきちんとやりたいこと、

「Aurea magic candlesの、

今後の体制を再度整えつつ、それが続けてゆける状態を、

実際に場所としても再度作り」つつ。
 


しかし、自宅に作業場を整えたつもりが、

なんだか、FactoryとGardenに一応自室もついてる、

という状態になってしまったみたいです。

もちろん、ちゃんと生活もできるし、そこまで大きく見た目変わってはいないけれど。

わたしの中で、ぐるりと、この部屋のエネルギー的な位置付けが変わってしまいました。
 


そしてそれは、この、エネルギー上だけの状態じゃなくて、

これから実際の領域でも、どんどんそうなってゆく予感まで。

(いつまでここで寝起きしていられるのだろう・・・)



そして、自分、個人のことも、なんだか大きく大きく整理整頓していて。


(実印を作りなおして、変えるとか、銀行印を作り変えるとか、
本籍を移すとか。

そういうことは、届け出上の些細なことなどではなく、

人生をひっくり返すみたいなエネルギーなので、非常に、ここ に余波を感じる。)


2月からの3ヶ月間は、まるでひとつながりに感じていました。

立春を過ぎてすぐに、深く実感したことがあって。

もう、みつけに いかなくていい、

"探している"という場所にいなくていい。

もう、全部全部、安心していていいんだ。
という、あまりにも、大きくて深い、本当の安心感でした。



そしてそれは、わたし自身の強さと、

たくましさと、頼もしさに感じた安心感でもあって。
そして、文字通りその日から、どんどんすべてが変わっていくように。

魔法が蘇った、と言えるような。

あっという間の3ヶ月間。
ちゃんと、こんな日々は来るのだなあ。
でも、ちゃんと、ずうっとどこかで知っていたことなので、そう驚くでもなく。
ただ、うれしく、暖かいきもちで、

これからどんな景色が見えてくるのかを楽しみにしているような感じ。
 


夏至まであと数十日。
ふたたび、走り抜けてみたいと思います◯

なつかしいな、このかんじ。




 

王と王妃

 

「いつか どこかの遠い世界に

 

黄金のたてがみをもった動物が治める 

自由の王国がありました

 

愛の力で光にあふれ 

薔薇が咲きみだれる王国がありました

 

 

あるとき 別の大きな力がやってきて

光はうばわれ 薔薇は枯れはて 

王国は封印されました

 

 

王は自らの魂の 

永遠の牢獄とひきかえに

何千年のちの夏至の、王妃と民 

すなわち王国の復活を 

魔法として残し

永き眠りにつきました

 

 

それを知らず王妃は 

自らの魂の永遠の牢獄とひきかえに

何千年のちの夏至の、王と民 

 

すなわち王国の復活を 

魔法として残し

永き眠りについたのです

 

 

 

王と王妃が、

お互いと王国にかけた魔法は

何千年も眠り続け 

しかしずっと生きていました

 

 

いま 時がきて 

お互いの魔法により

ふたりの魂は自由に

そして 

ここに王国が復活しようとしています・・・」

 

 

 

 

これは、

Aurea magic candlesが2014年の夏至に行った、

"王国の復活"というテーマでの個展の際につくった物語でした。

 

 

不思議なのだけれど、

今年以降につながるリンクだったような気が、

今になってしています。

 

 

新しい時代への変わり目は、

日をまたいでずっと雨が降っていて。

 

 

その雨は、ジャンプして飛び込んだ新しい「時」を定着させて、

「世界」にしてゆくような水。

そんな感じがしました。

 

 

 

退位礼正殿の儀をネットで見ていたのですが、

感じたことは。

 

こんなに、天皇陛下という、

大きな王様、大きな男性性、

にいつも守られて、愛されていた、

ということへの、あらためて大きな感謝の気持ちでした。

 

 

その佇まいや、お話になっていること、

皇后陛下へむけられる眼差しや、

何もかもすべてが、

 

 

わたしが意識のどこかでいつも知っている、

揺るぎない本物の王様、

という感じがしたのでした。

(それに、やっと、本当に気づいたというか。)

 

 

 

大きな、「男性性」というもの、

本来の"「王」性"。

(そんな言葉はないと思いますが)

王の器、王の威厳、みたいなもの。

Kingshipと言えばいいのか?正しいのかわかりませんが。

 

 

日本の象徴、であるように、

その大きな男性性、本来の、

大きく強く、広い愛であるという象徴でもあるのだろうと。

 

 

今回の、天皇陛下の退位、という出来事は、

両陛下から、

ほんとうの "「王」性”と”「王妃」性"を見せてもらったこと。

 

そして、本当の 愛であること、

祈りや慈愛、は何にも脅かされない、

強く確かなものなのだという、

 

わたしの世界には、そういう「現れ」でした。

 

 

 

そして、それらは、

他の「男性性」として、

わたしの世界に「現れている」

全てに瞬時に反映され、影響があったのだろう 

と感じました。

 

 

 

本来の、愛、という状態は、

他の何にも、どんな強大な力にも、

影響を受けない。

 

 

例えば、皇室 と、もうひとつの 力。

ふたつの力に、片方側からみてVSの関係性があったのだとしても。

 

 

もっとも強いものは 愛。

 

そしてそれは、絶対的で、

いついかなる時も変わらない、

恒久的なもの。

 

 

たとえ、「別の大きな力」が敵対してやってきても、

その「別の大きな力」が自らをどれほど強大なものに見せていようとも、

例え、相対するものを操ろうとしてこようとも。

 

 

本来の、

本当の、もっとも強い愛である、

「王」にはまったく影響がない。

「王」はただ笑って、

何者も相手にもしないというか、

何者も王の相手には、なれないのだと。

 

 

 

 

 

わたしが、2014年の個展で、

上に書いたちいさな物語のかけらをふまえて、

実際にその場所であらわしたかったのは、

 

 

「王国に帰ってきた王は誰より強く、広い愛を、

帰ってきた王妃は誰より優しく、深い愛を、もっていたこと。

そして、その王国、に帰ってきた王と王妃、は、

自分自身、あなた自身であったということ」 でした。

 

 

 

本当の、"「王」性"とは、

ひとりのひとの中で、王と王妃のふたりが、

完全にバランス、結婚したときに発揮されるものだと。

 

その時、そのひとの本当の世界ができあがる。

そのひとが、世界、になる。

王国が還ってくる。

そこが王国、自分が王国であったことに気づく。

そして、そこからすべてが始まる。

 

 

 

 

ひとりのひとの中にいる

「王」は、強くて、とても広い愛であって。

そして、本当の意味での"「王」性"は

純粋性を伴うので、大概において、

完全に成熟し老成した判断力をもちつつも、

少年のように自らに破天荒。

 

 

「王妃」は、優しくて、とても深い愛であって。

こちらも、本当の意味での"「王妃」性"は

純粋性が不可欠なので、大概において、

完全に成熟し、「清濁併せ吞む」ようにすべてを受け入れつつも、

「清」に対して、「清」であることに、

少女のように一切の疑いがない。

 

 

そんなことを感じながら、

新しい時代をむかえました。

 

 

 

とめどなく書いてしまいましたが、

 

どうやらAureaの王国も、

復活が間近なようです。

 

おかえりなさいと、ただいま。

 

 

"There is your Kingdom,

The place where you are,

Where the magic begins."

 

 

 

 

 

 

Relight your fire

大切なのは、

表面上の安心、でも、便利さ、でもなく

本物、かどうか。

 

 

知らぬうちに刷り込まれていたこと。

植え付けられていたもの。

 

いつの間にかすり替えられていた、まがいもの。

 

意図して、「野性」が人間から抜かれるように、

日々の生活の中に紛れ込ませてあったもの。

 

 

電子たばこや オール電化。

IHで温めた水には、火の波動が入っていない。

 

それを体に入れ続けることで、どんなことが起こる?

生活から 少しずつ消されてゆく「炎」。

 

 

炎、を目にしない生活は、一体、

肉体をもつ私たちの中のどんな領域を支配していたか。

 

 

それぞれの生命の中に「知性」と「野性」が共存するときには、

「可能性」しかないはず。

 

もしも、地球上の全員がそうであったなら?

 

誰 がそれに怯えていた?

 

 

 

表面上の安心、でも、便利さ、でもなく。

「本当」かどうか。

大切なのはそれだけ。

 

 

大丈夫、それさえあれば、

ちゃんと、懐かしく美しい未来に 帰りつくよ。

あるひかり、あのひかり

12年前に、はじまっていた わたしの中の物語。

その数年後  あるひとに出逢ってから、

 

 

わたしにはない、と思い込んでいた、ある光 を

胸のなかにみつける旅をしていたようです。

 

 

魂にかくされたとびらの鍵穴に合わさる鍵。

気づいていなくても、きっと、はじめてあった時にそれを交換していて。

 

その古びた鍵であけた扉の中で体験した、さまざまな さまざまなできごと。

 

やっていることも、住む場所も、まわりのひとたちも、一緒にいたひととのお別れも、何度も。

ちがうひとの人生に生まれ変わるかのようにどんどんかわってゆきました。

 

 

ひとりだった(と思い込んでいた)わたしを、

みんなに、会わせてくれたこと。

 

小さな頃からずっとほしかった、

でもわたしには無理だろうとあきらめていた、

 

ほんとうのあたたかい心のつながりを、大切な誰かとの間、大切なひとたちとの間、

お互いに大切にできること。

 

そのままのわたし、を愛してくれる懐かしい なかまたち。

 

そのひとは、わたしに、それをくれました◯

 

 

 

わたしの魂のとびらの中にあった、

わたしという世界、

そのひとのいる世界、

なかまたちのいる世界は、

 

ある角度からみたらなんにもないきれいな海原のよう。

 

だけど、ひとたび潜れば 水はやさしくて、

どこまでも美しく深くて、遠くまで続いていて、

たくさんの生き物たちが住んでいる 静かな光できらめく世界でした。

 

 

 

きっかけは、

だれかを、すきになること。

 

愛すること、をしる。

愛していたと、しっていたと、思い出す。

そのだれかが、愛だったと、

じぶんも、愛だったと、気づく。

 

あの光 で、いつの間にか胸のなかも、

世界も、いっぱいになっている。

 

 

 

そのだれか。

(誰しもにかならずいる、Mr.love  または Ms.love)

 

 

さまざまな姿、さまざまな存在にかたちをかえて、

すべての次元で

いつでもいつでもわたしを守ってくれている Mr.love.

 

 

ありがとう。

I love you,Mr.love.

 

 

在ることに還ること

「ひとつ」だった時、完全な調和と完全な愛で在ったこと。

 

 

完全な調和と完全な愛で在るということは、

それが一体どういうことなのかはきっとわからなく、

調和であるという感覚や言葉、愛であるという感覚や言葉も、

もちろんない。

 

 

だから、「ひとつ」は、それを知りたくなった。

その第一歩として、

個であるという感覚を知るために

大きな全体から分離して、

さらに自らをふたつに分けて。

愛であるという感覚を知るために。

 

 

ふたつに分かれたお互いは、どこまでいっても自分だから、

 

 

違う人間の中に入って、

違う魂なのだということをあえて強調して。

そうでないと愛であったことなんて思い出せないから。

 

たくさんのパラレル、たくさんのタイムラインで

争って傷つけあって怒って悲しんできて、

そして別れ別れのまま死んでゆく

 

 

その目的は、本当は魂には傷なんかつかないけれど、

傷を負ったようにお互いが感じることだったから。

 

だけど、もうじゅうぶんその目的は果たされてる。

 

 

だから今、いるこの場所での目的は、

傷を負うこと、悲しく別れたまま死んでゆくことではなくて、

 

調和で在ること、愛で在ることに、もう、還ること。

 

 

一番最初に定めた、「知りたい」は、

一番最後にやっと、知れることになっているんだ

 

 

宇宙の仕組み

とてつもなく、壮大で緻密で

言葉の出ない気持ちになる。

 

 

「宇宙には最初から愛しかないんだよ」

 

 

子どもの頃に聞いた、あの声の言っていたこと、

金色と水色の合わさったこの世界で、

やっとわかり始めている気がします。

 

 

長い長い旅だったね。

 

 

 

断捨離2

ずっと、物を手放すこと、について向きあってみて。

 

 

今の所のわたしの結論は、

「残すかどうか少しでも迷うものは、本当に全て!いらないもの」

 

 

本当に大切で大すきで必要なものは、

迷う間なんて一瞬たりともないから、ってことでした。

 

 

「自分にとって」必要と、不要なジャンルをとことんまで、はっきりさせること。

 

 

私にとって不要なのは、電子レンジとかテレビ便利な家電とか。

 

でも絶対必要なのは、大きいベッドと寝転がれる大きさのソファー。

長い旅行にこれから先行かなくなったとしても、大すきな大きなトランクふたつ。

乾燥まで全部おまかせできる洗濯機。

(洗濯物を干すことが苦手なので)

 

 

 

家で飲むワインは気軽に開けられるのばっかりだから、

ワイングラスはもう思い切ってデュラレックスにするけど、

シャンパングラスは絶対バカラがいい、とか。

だから、世で言うミニマリストではないし、それを目指してるわけではない。

値段に関係なく、本当に気に入ったものを少しだけ、がいい。

 

 

かさばろうが何だろうが、どうしても自分に必要なものは手放さない。

たくさん集めてもいいものは、すみれの小物と、かごバッグ。
 


"断捨離や、物を持たないことだけをゴールにせず、

物を減らした後に自分がどんなライフスタイルを望むか"

"シンプルで豊かであること"

"本当に自分に必要なものだけに囲まれた理想の暮らし"

 

 

何かから、ノートに書き写してあった言葉です。

 

自分にとって、本当に「豊かである」ということは一体どういうことなのか。

誰とも何とも比べられない、自分の幸せの追求。

断捨離するということは、わたしにとっては、そういうことでした。

 

 

路地裏の小さなろうそく店

吉祥寺の路地裏につくった、小さなショップをクローズしてから

今日でちょうど1年がたちます。

 

 

 

オープンしたのは2013年の7月の終わり。

 

 

 

たぶん、長くは続けられないであろうこともどこかで薄々わかっていて、

けれどもどうしても、

路地裏に実際にある、不思議な魔法のろうそくのお店、というかたちを作りたくて。
 

 

ただそれだけの思いで作った、

Aurea magic candlesという路地裏の小さなろうそく店でした。


 

 

 

 

去年、最後の日に来てくださった、最後のお客さまが、伝えてくださったこと。
 

 

"このお店の世界に触れたら、

自分の中に眠らせていた魔法が目を覚ましました"

 

 

 

最後にいただいて、とても嬉しかった宝物のような言葉です。。。

そして、わたし自身も、ショップを開いて以降それをとても感じていました。

 

 

 

 

今年は、本当に心の中で、いろいろな魔法の旅をしていた年でした。
 

 

自分自身が、どこでどうして生きてゆきたいか。
 

「今」、いちばん自分に心地よく、うれしい選択をただ、し続けること、

ただ、それだけが、いつか必ず還る場所への道になることを、
 

1年を通して感じていました。

 

 

 

 

 

大すきだったショップとアトリエの内装を壊し、

ゼロに戻すことから始まった年。

 

 

わたしの人生で大きな存在だったひとたちとのお別れも続き、

そして、自分自身も長く親しんだ場所から引越しをしました。

 

 

2013年からの、宝物のようだったひとつなぎの時間に、

9月の秋分頃、大きくさようならを選択して。

 

 

そして新しい時間が始まると同時に、

憧れていたお店から、お仕事でとてもうれしいお話をいただいて。

 

 

その後出逢えた、

はじめましてのはずだった、何人もの方が、

 

あの小さな路地裏のろうそく店に来て下さっていたことや、

目で見て知って下さっていたこと、を知らせて下さいました。

 

 

 

 

中でも、ほんとうに嬉しかったのは、
 

以前からとても大すきだった方が伝えてくださった、

2013年のオープン直後の夜の、ショップの窓から見えていたろうそくの灯の話。

 

 

あんまり大切で、うれしい、特別なお話だったので、

胸の中の大切な場所に飾ってあり、今ここには記しませんが。


 

 

 

あの場所で、あのろうそく店を始めたことは

自分だけの満足ではなかったのだ、ということや、
 

 

そして、感じる不思議なつながり、ご縁は

見えない場所でしっかり育っていて、ある日、

目に見える形に表れてくれること。


 

 

 

そして、

魔法は、確かにその時そこにあったこと、

そしてこんなに、確かにここにあること。


 

 

わたしが、何よりも大切に思うことを、

数年の時を超えて、伝えていただけたのです。

 

 

 

本当に、ありがとうございました。



 

 

 

 

 

誰もがみんな、自分の選択を疑いなく信じて、

胸の光が指し示す方向へ走り出せますよう。

 

 

そこで待っている未知の世界は、

本当は誰もにひとつずつの、懐かしい王国なのだと思います。


 

 

 

 

 

わたしの中の王国の、懐かしいひとがこう言っているみたいです。

 

 

 

「本当はすべてを知っている、
 

 

だけどただ、何もかもを初めて出逢うかのように、ひとつずつ思い出したかったんだ
 

 

そしてその大切さと愛を知りたかったんだよ」


 

 

 

 

 

 

大切な12月に たくさんの愛をこめて。
 

 

Aurea magic candles

清水愛子

 

 

大すきな夢

10年以上前にみた、大すきな夢があるのだけれど。

冬の夕方、私はどこか、
シアトルの方だとか、カナダだとかの、寒い外国の小さな街にいて。
長い髪をしていて、あったかいコートを着ていて、クリスマスが間近。
手には、ワインのボトルや、
おいしそうなものが色々少しずつ入った紙袋を下げている。
そこには一緒にいないけれど、大すきなひとが遠い故郷の国にいて。
今はひとりだけれど、何だかものすごく幸せ。
不安もさびしさもなく、ただただ胸の中が暖かくて。
街がきれいで、空が澄んでいて、周りの人たちはみんな嬉しそうで、
そのしあわせが周りの空気に漂っているようで、幸福なきもちで目覚めました。

忘れられない大すきな夢。
でもね、今年、ひとりで冬の街を歩いていると、
その夢の中で感じた気持ちがそのまま感じられるのです。
何もないけれど、胸の中には全部ある。
いつか必ず帰りたい場所があって、大切に思うひともいて。

そして、家に帰ればねこたちもぬくぬくとしていて、

作りたいもの、表したい世界があって、
友達も、家族も、仲間も、お客さまもいてくれて。
そして見えないたくさんたくさんの存在に見守られている、本当の安心感。

ああ、もう本当にあそこに来られたんだって、何だかすごく幸せ。

自分のこころを、ただただ澄ませて、
本当のきもちはどこにある?

魂の声はなんて言ってる?
それだけをひたすら見つめて聞いてきて、

恐い方へこわい方へ、ただダイブを続けてきたこの5,6年。
ひいては多分、あの夢からの10年ほど。
たぶん、今年ようやく。ずっと探していた場所をこころの中に見つけました。
消えない炎と、枯れない湧き水が一緒にある場所に感じます。
あの場所がこころの中にあれば、いつまでだって、どこまでだって、飛んでゆける。

誰もが、少しでも早く、それぞれのあの場所を見つけられますように。

その場所が、いつでも胸の中にあったことに気づけますように。
安心の中で、愛の中で、光の中で、本当の魂で生きることを選択できますように。

 


 

 

旅の中で生きる

parantica sita、パランティカ・シータ。

アサギマダラという蝶の本を読んでいました。

 

蝶は、魂の変容のシンボルであって、復活や輪廻、回帰の意味もあるし、
象徴としての蝶を思うととても力強いものだけれど、
生物としての蝶は、わたしにとっては、儚さを感じるものでした。

 
わたしの身近には、魂の象徴が蝶であったりするひとや、
何十頭の蝶を毎年育てて羽化させて、放していたりするひとがいて。
わたし自身も、
いちばんご縁の深い女神様の化身が黒揚羽蝶だったりもするのだけれども。
 
けれど、わたしは、蝶に対して
どちらかというと今まで、そこまでの思い入れはありませんでした。

 
だけど、この、アサギマダラという蝶のことを
偶然みたいに不思議な知り方で知ってから、
もっと知りたくて知りたくて、泣けてくるほどで。
不思議な、渇望みたいに。

 
この蝶は、わたしが今まで知っていた蝶とは違っていて、
年に2回も、1000kmから2000kmも、旅をして生きている蝶、
なんと、国境を越え、海を渡る蝶なのです。
アサギマダラの名の通り、羽は半透明の浅葱色、
時々虹色に光る薄い水色、でものすごくきれい。

 
よく、捕食されずに海なんて渡れるなあ、と思ったら、
天敵が少なく、捕食されにくい蝶なのだそうです。
その理由のひとつは、
幼虫のころから、毒草を食べて育ち、成虫になって吸う蜜でも、
毒になるものを体に蓄えているのだからだそうで。

 
2日間に、740kmもの距離を海上移動するほど速い、
力持ちであるとか、長寿であるとか、賢い、体が強い、
とか色々不思議な特性があるのだけれど。


 
とても心惹かれるのはやっぱり、
春には、涼しい北を目指して、
秋には、暖かい南を目指して、
ただ、ずっとずっと旅をしている、というところ。


 
台風を活用して移動したり、雨が降る前に一気に遠くまで飛んだり、
気象をも読みながら旅をしているのだって。
 
羽化後、4~5ヶ月の寿命の中で、小さな体で2000kmもの距離を移動している蝶。
旅をしながら子孫を残して、なにも持たずに、なにも残さずに、
ただ旅の中で命を全うする。

 
渡り鳥にはとても強い思い入れがあるけれど、
蝶にそういう魂を感じるとは、思ってなかった。

 
もしも、蝶になるならば、この蝶になりたいな。

なんだか、もう魂の一部がこの蝶の中に入ってしまったみたいで、
夢までね、みました。

 

目的を目的としない

 

何年か前の話なのだけれど、

あるひとが、

 

 

"あなたの作品はたくさんの人を救って、たくさんの人を繋いでくれている"

というような内容の言葉をかけられたとき。

 

「ありがとう、でも純粋につくれなくなってしまうから、

あんまりそういう事を言わないでおいて」

というように答えていました。

 

 

それを聞いていたその時は、

芸術家の言葉だなあ、と思っただけで、深く考えなかったけれど。

きっともしかしたら、その意味は
 

 

「結果そうなるのはうれしいけど、

自分の中に少しでも気負いだとか、

余計なものが出てしまうと、いいものができなくなる

(光をのせられなくなる、届けられなくなってしまう)から、

ほんの少しでも、そんな目的を意識の中に入れたくない、

だから、うれしいけれどあまり聞かせないでおいて」

 

 

と、いう、本当に痛いほどストイックで透明な思いだったのだな。
 

 

明らかに、本当に多くのひとに光を届けているひとであるし、
かけられた感謝の言葉のとおり、多くの人を救って繋いでいるし、

私には、魂の目的はただただそれ、に感じられるひとなのだけれど。

 

 

 

決してそれを役目だと思ったりとか、 目的にしたくない、

ただ素敵なものをつくるだけ、

というその気持ちがとても透明で、

そのことを思うと、言葉の出ないような気持ちになる。

 

 

 

ジャンルは全く違うけれど、

きっと全く同じことを思い、実践している、

やはり多くのひとに光を届けるひとがいて。
 

そのひとも、いつも、ただ透明でいたい、自分は空間、それだけと言っている。

 

 

愛の世界、光の世界をほんとうに知っているからこその、

かなしみや寂しさを持ったまま、

その世界をここに取り戻すために働いているひとたち。

 

 

 

ほんとうにそれが確固たる魂の目的であるからこそ、

それをこの場所での目的だなんて、

言わないというか、目的にする必要もないというか。

 

 

少しでもそれが目的だと言ったり、思ったりすることで、

自分の中に、

誰にもわからないかすかな濁りが出ることをすごくわかっている。
 

 

そして、自分のその微かな濁りが、

宇宙にどれだけの大きな影響を及ぼすかも、

きっと魂でものすごく知っている。

 

 

だからいつも、彼らはなにかギリギリのところで、なんとか保ってる。

なんというか、人間であることをギリギリ保っているというか。


それはとても大変なことだろうと思う。
決して、彼も彼女も、そうとは見せないけれど。


 

よく、こんなひとたちが、

この場所で生きていてくれているなぁ、

と、いつも思います。

 

 

彼らだけではなく、わたしのまわりにはそういうひとたち、

たくさんいるけれど、そのふたりは全く別物であるというか。なんというか。
 

 

ふたりとも、普段は一見優しく儚げな姿で、自然でほんわかしているのだけど、

それぞれ、そのお仕事をしている時は巡らせているものが、ものすごく速い。

恐いほど、あまりに速いエネルギーで的確で、静かな白い嵐のよう。


お仕事は全く別ジャンルだし、

そのふたりはお互い面識があるわけではないのだけれど、

ふたりとも、わたしがとても尊敬しているひとです。

 

 

 

 

愛も祈りも光も、だまって、迅速に、常に。

というか、存在しているだけで、

ほんとうに、誰もみんな愛で光で祈りなんだな。

 

 

本当にたぶん、それだけでいい。

 

 

大すきなふたりには遠く及ばなくとも、

ただただ、自分の中の水を澄ませることに集中して、

深いところまで見渡しながら、

わたしも、自分の道をゆっくりと進みたいです。

受け入れて、明け渡して、愛して、歩いてゆきたいです。